頭を良くしてあげよう

読んだあとモヤモヤが残る文章を心がけています。

死んでないです

暴れ馬のごとく言うことを聞かない情緒の乱高下に翻弄されつつ、毎日を生きている。前回の記事から1ヶ月、インターネットの情報というのは日々めまぐるしく更新されるものだけど、久々に覗いたカテゴリ内では相変わらず、界隈では議論され尽くしたであろう不毛な記事が並んでおり、私はこの不毛な世界の中でもがくオタクという存在がとても好きだな〜と思ったのでした。(ディスってるつもりはないので晒さないで下さい。)

 

前回ちらと書いた健康診断に引っかかった話に対して、大変親身になって質問箱にメッセージを下さった方、ありがとうございました。嬉しいのと少し安堵(?)した部分もあり、救われました。言われてみれば確かになるようになるで約30年過ごして来れたので、まあこの先もなるようになる、というかそうするしかないし、それを不幸と取ってただ待つだけか、それとも行動するのか、自分自身を強く持たないといけないなと思いました。お互い、健康に気をつけながら推しを推しましょう。死んでしまっては推しを推すこともできませんからね。(私信)

 

 

いま、書きたいことは何個かあって、2.5dに求めるものとか、質問箱で頂いた認知の話とか、美顔ローラーがめっちゃ効いた話とか、リアコファッションしたい話とか、仕事辞める話とか、まあブログネタになるようなことはこの1ヶ月でかなり貯まったのですが、アウトプットする気力がどうにも起きてない。文章にまとめるのは頭使うので時間かかっちゃうから腰が激オモなのです。だから今、リハビリでどうでもいい、非建設的な文章を書いているわけです。あーあ私がラジオ番組でも持ってたらな。ラジオやりたいなあ。ラジオは大好きです。小学生の頃からコソコソと深夜ラジオを聴いてはせっせとハガキを出す日々。地元のFM局の番組なんかは毎週採用されてたので、採用された時に貰えるステッカーが大量にあり、そしてそれを弟がクラスで無配していた。(私は友達がいなかったので配る相手がいませんでした。)

何の話だっけな。

 

今日は寝ます。

 

不幸自慢をさせてくれ

健康診断の結果が出た。右乳房に腫瘍が見つかった。調べた結果悪性ではなかった。しかしだからといって安心できるものではない。将来的に悪性に変異する可能性はある。ふとした瞬間に思い出しては不安に襲われる。

 

転職を決意しエージェントに登録し面談すると「あなたのキャリアではまず無理ですね。国公立大出てないと無理。」と言われる。私でも選考を受けさせてくれるような同業界の企業だと今よりも年収が軒並み100万下がる。そもそも今の私の年収は同年代女性の平均年収を下回っている。私が紹介してもらえるような求人を出している企業は推しを降りたとしても生活ができるか危ういレベル。そのような企業が今後発展できるのかというと、無理だろう。逆に受ける奴なんかいるんだろうか。企業に対して世の中を舐めるなと言いたい。が、しかし私の市場価値は結局そんなもんなのだ。

 

「人が嫌がることでもやりなさい」という大人からの教えを守って生きてきたら人が嫌がることをするしか生きていく方法を知らない大人になってしまった。今、職場まで往復3時間かかったり、複数の店の責任者になってしまったのは断れなかったからである。結局、ゴネた奴が幸せになる。正直者は損をする。

 

職場の気温が35℃ある。死ぬ。なんとかならないか上に相談したら「しょうがないでしょ」の一言で終わった。じゃあしょうがない。

 

死ぬほど働いて必死で貯めた金限界まで使って推しの接触に行った。周回で推しを疲れさせて、自分はシャトルランで疲れて終わった。この世に確実なんてものはない、ただそれだけを嫌というほど味わった。あんなに必死で準備して、あんなに楽しみにしていたのに、推しのパフォーマンスは最高だったのに、結局何も楽しくなかった。積まずに1回だけの接触で「キャー」と言えるようなオタクが羨ましかった。数百人のオタクの中で自分が一番みじめだと思った。笑いものになっているような気がした。しかし実際は推しを含め私の存在になんて気づいているひとは一人もいなかったのだと思う。周回なんかしないで途中で帰ればよかった。けどそれさえできなかった。そしてこの世界でも、結局ゴネた奴が幸せになる。正直者は損をする。

 推しも運営もほかのオタクも、どうでもいい。なにも思わない。ただ自分の腐りきった思考が憎い。それだけが後味悪く残った。

 

そしてこんなことを文章にして残している自分が大嫌いだ。はやく腫瘍が悪化して死ね。

世が世なら刺したいくらいに嫌いな種類のオタクについて

オタクの世界は魑魅魍魎、いろんな角度でヤバい人がたくさんいるから面白いなと思う。(自分も例に漏れず。)オタクではない人からしたらキモいことが、オタクの世界では善いことだったりする。それを薄々と感じているからこそオタクはオタクを隠す傾向にあるし、素性も隠すのかなと思う。その閉鎖的な世界の中で作り上げられた小さな社会で、我々オタクは頑張っているわけです。

 

そんな閉鎖された社会の中にも、自分とは絶対相容れない、嫌いなオタクがいる。まじで今すぐ村八分にあって欲しい。

 

私がめちゃくちゃ嫌いなオタク、それは推しを値切るオタクである。例えば、接触目当てで写真集などを買い、接触が済んだら写真集を転売したり、チケットの譲渡条件として買取をさせるなど。いや、配れよ。なぜ売る。推しの接触を出来るだけ安価で得ようとするその根性がダサいし、軽蔑する。そういうのはもはやオタクじゃないし、推しを推してるって言わないで欲しい。

そういうのってつまり、推し側から提示された推しの価値に対して「そこまでの価値は感じません」って言ってるわけでしょ。いや、価値を感じないなら来なきゃいいんだよ。対価としてお金を払うほどの価値を感じないってことは、もうその時点で推しのターゲットから外れてるんだよな。なのになんで「推しにそんな価値は感じてないけど接触はしたい」になるんだよ。スーパーでお惣菜を店員さんに差し出して「これも割引シール貼ってよ」って言うクソババアとやってること変わんねーぞ。恥ずかしくないのか。

しかもこういう奴ほどツイッターのbioに「◼️◼️(推しの名前)推し」とか書くんだよな。まず、"さん"付けろ。あと無断転載しがち。同担だと思われるのまじで嫌だから本気で黙ってて欲しい。

 

逆に好感がもてるオタクは、推しにお金を使うために稼ぐぞ〜〜!ってなってるオタクですかね。仕事頑張ってるとか、バイト極限まで増やしてるとか、風水の女の子もかっこいい。何かを犠牲にしてでも推しにお金を払いたいという気持ちはすごく真っ直ぐだ。お金を稼ぐことが目的じゃなくて、何かやりたいことがあってそのために稼ぎたいというのはとても良いことだと私は思う。世の中には「お金が欲しい」が目的の人間が多すぎる。お金は目的じゃなくて手段であるべきなんじゃないか。

推しに使うために稼ぎたい、その原動力はお金を稼ぐこと以上に、スキルや経験としてその人に返ってくると思うから、たとえ推しを降りたとしても、そのあとの人生に絶対生きると思う。

 

私も常に、稼ぐ方法考えてます。LINEスタンプ買ってね♡

6月の分配金197円!ありがとうございました。たまごが買えますね!(198円)

 

 

 

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一生懸命作ったLINEスタンプ

(すいません、実際のところはスタンプ作るのが楽しいから作っただけなんで怒んないでください)

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ファンサから学んだ人生の教訓を語り、マウントを取る記事(質問箱回答)

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ご質問ありがとうございます。質問の答えですが、

推しの存在自体がファンサだと思ってます。

 

う、うわあ〜キモいですね!答えになってない。しかもブログを読んでいただいてるということは、私がそんな光のオタクじゃないことは質問者さんにはお見通しでしょう。

 

さて「ファンサ」とのことですが、ファンサを貰える舞台というのは限られますので、つまり質問者さんには私の推しが出ている舞台の見当がついていることと思います。(ていうかもしかして昔そういう記事を書いたのかもしれない。消しちゃったけど。)

 

その特定の舞台においてのファンサの話が聞きたいというのであれば、ごめんなさい。推しからガン干され芸人なのでわざわざ書くようなファンサの話はないです。まあまあそこそこ通ったので、推しからも何回か固定ファンサは貰いましたが、人に話したくなるようなドギツイやつは推しじゃない人から貰ったことしかないですね。推しじゃないキャラでもみんな好きなので、それはそれで嬉しかったのですが。

しかし、推し色ペンラ6本持ちで両面推しの名前デカデカと書いたうちわ持って最前座ってる人間に対して、自分のこと推してる人を差し置いて、わざわざファンサするっていうのはどういうことなんや?と、ただ不思議でした。

結局ファンサっていうのはタイミングが9割、あとは運なのかなと思います。が、この運とタイミングを掴むために、推しの客降り通路の予測とサイドチェンジ、そして効果的なアピールが必要なのです。つまり運もタイミングも自分の行動力次第であり、推しからのファンサが欲しいなら、それ相応の努力と覚悟が必要ということを学びました。待っていても無駄、推しに文句を言っても無駄、同担の悪口を言っても無駄なのです。欲しいものを手に入れる為には行動すること。これは人生にも生きる教訓であります。

 

皆様、チーズはどこへ消えた?という名著を読んだことがありますか?IBM、アップル、ベンツといった大企業で社員教育にも採用された、言わずと知れたベストセラーなのですが、内容に関してギュッとまとめると、まさにこの経験から得た教訓そのものなのです。現代を生きるために読むべき名著の内容をオタク活動から学んでしまいました。

ファンサというのは単なるオタクのお楽しみやマウント合戦のための武器なんかではなく、時に人生を教えてくれるわけですね。

チーズはどこへ消えた?

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話が逸れました。

私は推しから貰った良対応はわりと心に秘めたまま墓場まで持ってくタイプのオタクなのですが、せっかくですのでこの機会に盛大にマウントでも取っておきましょう。

 

ファンサかどうかというと微妙なのですが、かなり嬉しかった対応について。

イベント1部後の接触で「推しさんの◼️◼️◼️(とあるパフォーマンス)が大好きなんです!」と言ったら、「えー本当?」というので、「次、もしかして期待してもいいやつですか?」と言ったら「うん!いいよ!」とのこと。

その後の2部で実際にやってくれました。わーいヤッター!

2部後の接触で「ありがとうございました!」と言ったら「よかった〜!ああいう感じが好きなんだね」とのことでした。

 

ま、まあもともとそういう構成でやるつもりだったのかもしれないし、私に向けてやってくれたのかというとそれもわかんないし、そもそもそんなの言ったら推しはやるしかなくなるじゃんって話なんですが、私はチョロいオタクなのであれは私信だと思ってます。えっへっへ。

以上、私の出来る限りのマウントを取ってみましたがいかがでしょうか。

 

私の推しは優しい人です。

 

〜Fin〜

 

 

皆さま質問箱ありがとうございます。

ご返答遅くなってしまったら申し訳ないのですが、答えられる範囲で(すみません住所とかは答えられないんで…)少しずつ答えていこうと思います。

私は匿名は卑怯だ!とかいうめんどくさいオタクじゃないので、暇つぶしにでも自由に質問していただいて結構です。あと感想とか意見とかもすごく嬉しい。(自己顕示欲の塊なので。)

 

 

 

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販売職のオタクが一度は考えるであろう不毛な話

ただなんとなく生きている日常の中で、たまたま推しと出会ってしまったらどうするか。

もっと言うと、例えば自分が働く店に、推しが来店したら、販売員の自分はどうするか。

 

私はとある地方、そこそこでかい駅の中にあるお店で働いている。絶対にないと思いながらもいや、絶対にないことはないな…と永遠にこの問題に向き合いながら毎日を過ごしている。

私は出待ち否定派であり、遭遇(という名の待ち伏せ)も擁護できない。本当に街で遭遇してしまったとしても、話しかけたりはしないだろう。こう見えてルールとモラルは大事にするのだ。が、しかし自分の働く店に、推しがお客様として来店してしまった場合、それは不可抗力であり、接客をしなければならない。

その時、私はどうするんだ。声をかけるんだろうか、それとも否か…。これは全国の販売に身を置くオタクにとっては永遠の課題なのではないかとずっと思っている。

 

先日、私が働く店に、とんでもない有名人がご来店された。スタッフから、商品のご予約承ったので対応お願いしますと連絡があった。その日私は休みだったので、実際接客をしたわけではないが、店のスタッフは全員湧いていた。テレビで見たまんまのとても印象の良い方だった、絶対こんなところに来るわけがないと思ったけど、(予約用紙に書くために)お名前を聞いたらやっぱりそうだった、店を出た瞬間に女の子たちに囲まれていたと、そういう話だった。

(話は逸れるが、この話を聞きつけた他の店舗担当の私と全くウマの合わない社員が、そのお客様のご予約日に店に来た。私が休みだったのをいいことに、勝手にシフトに入り、「ファンです」と言いにきたらしい。しかし私の知る限りそいつがその人を推していた記憶はない。万札を溶かして溶かして、それでも自分がファンを名乗っていいのかと思い悩む、そんな健気なオタクを沢山見てきたし私もそうだ。だから一銭も使わずにファンを名乗る人間が好きではない。究極の茶の間のくせに突然当事者感を出してくるこの感じ、最高に嫌いである。ていうか、お前自分の店放って勝手に帰ったり、ヘルプ頼んでも無理ですって言うくせにこういう時だけ休日出勤するのな。だからお前自分の店で死ぬほど嫌われてんだぞ。恥ずかしいからそのお客様の前でギャーギャーしてんなよ。頼むから。ちなみにこの女の最近の口癖は吉沢亮かっこいい」です。御察し。いい加減にしろバカ。吉沢亮とそのオタクに土下座して謝れ。)

 

そんなことが実際に起こるのだ。実際今まで私が働いていて、接客したお客様が芸人さんだったり、芸人さんだったり、芸人さんだったりしたことはある。けれど私は気付いても全く気にせず、普通に接客することにしている。ミーハーっぽいのがダサいし恥ずかしいから。普段どおりいらっしゃいませと言い、普段どおり商品を勧めて、普通にレジ対応する。というか最後に商品のお渡しをする時まで気付かないことさえある。

 

しかし、もし推しが来店したら、それは、それはもう気づかないわけがないじゃないか。こちらは毎日推しの顔を拝んで生きているのだ。いや、でも無いかそんなこと。でも待って、一度だけ推しがうちの商品持って写真に写ってるのがSNSにアップされてたことがある。なくはない気がしてきたぞ。そんなことがもしもあるならば、声をかける…いや、しかし、それは推しにとって迷惑かもしれない。推しのプライベートである。見て見ぬ振りが一番良いに決まっている。いや待て、しかし万が一認知されていて私に気付いたとしたら?ていうか多分、認知されている(と信じている)から気づかれる可能性はある。いやいやいや、現場にいる時の顔と、出勤してる時の顔、全然違うし気づかれたくないな。化粧薄いし汗だくだし。恥ずかしいから逆に知らない人の振りしようかな。いや〜絶対なんか変な感じの対応しちゃいそう。だったらむしろ「いつも見てます!」くらい言ってもバチは当たらないのでは…?待って、でもやっぱりたまたま買いに入った店で「いつも見てます!」はキモいかな。応援してます!頑張ってください系は茶の間っぽくて嫌だし、そうだ、「次の〇〇の舞台行きます!」がいいかな、そうだこれだな!レジのタイミングがいいかな、商品渡すときにさらっと言おう。それがきっと一番いいな。声かけなかったらそれはそれで後悔しそうだし、このくらいならもしも推しが迷惑と思ったとしても最低限で済みそうだし。きっと許されるぞ。でもさあ、もし実際推しが来たら、絶対人見知りしちゃうし緊張していつも通り接客なんてできない気がするな…ハー。

 

 

なんてことをずっと考えながら時だけが流れていく。この問題に正解があるとすれば、推しは一生、来店しないから安心しろということである。そんなことより仕事に集中しろ、お前店長だろ。

 

 

 

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すっぱりと担降りしたいなら小型犬を飼うべき

私の母はかつてK-POPオタクであった。

 

私の実家というのはとんでもないところにある。最寄り駅まで車で30分、電車は2時間に一本、娯楽が無いので近所に救急車が止まると見物のため近隣住民がぞろぞろと家から出てくる。平日の昼間におつかいを頼まれ、歩いて1キロくらい先にある雑貨店に小麦粉を買いに行き、家に帰るまで人にも車にもすれ違わなかったことがある。そんなプリミティブな土地である。

 

関東からこの地に若くして嫁に来て私を産んだ母は、文明から切り離されることになってしまった。そしてここ10年ほどは祖父の介護で付きっ切り、さらに実家は商店を営んでおり、母が現場に行けるチャンスは年に2回あれば良い方だった。

それは我々の感覚からすると茶の間である。私は茶の間ででかい口叩く人間があまり好きではない。しかし母はでかい口も叩かず、というかSNSアカウントを持たず、オタク同士の繋がりもなく、それでも1人で細々と頑張っていた。円盤やCD、雑誌やグッズを(父に隠れて)買い集め、クリックの仕方さえわからないパソコンに挑戦し、インターネットという文明に触れ、スマホという利器を手に入れ使い方を勉強し、ただ黙々と必死で情報を集め、そしてその情報を娘である私に披露することに徹していた。最初の頃は「ユーチューブ みてね」という文字だけのメールを送ってきていた母が、今では娘にLINEでYouTubeのリンクを送れるようになるまでに成長したのである。その努力に私は感銘を受けたのであった……。

 

そして3年ほど追いかけた頃、母の推しは兵役に行くことになり、活動を休止せざるを得なくなる。

その時の母は2年も待てるかなあとしきりに言っていたが、結果として1年半じっくりと待ち続けた。

そして、ある日を境にすっぱりと降りたのである。

 

あれほど夢中で追いかけていた推しをなぜ降りたのか。

 

である。

 

父がある日突然、「犬を買いに行こう」と母を連れ出し、トイプードルの子犬を飼うことになったらしい。父はいつでもよくわからない。

 

家族のグループLINEに送られてきた子犬の写真は信じられないほどにかわいかった。

名前募集!という母に対し、家族がそれぞれ思い思いの名前を送ったが、結局母が勝手に名前をつけた。(奇しくもその前日、アドベンチャーワールドのパンダの赤ちゃんの名前が公募で決まったニュースを見たのでここぞとばかり「彩浜(さいひん)」と送ったら、家族全員に無視されてしまった。)

 その日から母の日常はトイプードルを中心にまわることになる。「起きて寝るまでずっと見てても飽きない」という母はとても楽しそうだ。子犬というのは手がかかる。ごはん、トイレ、散歩、しつけ。ちょっと目を離すといたずらをするので目が離せないし、というか母の言う通りずっと見てても飽きない。先日1週間ほど実家に帰ったが、「起きる、飯、犬、飯、犬、飯、犬、風呂、犬、寝る」みたいな1週間を過ごしてしまった。その間私は推しのことをほとんど思い出すこともなく。犬というのは恐ろしいくらいにかわいい。

 

子犬が実家にやってきた日から、母はかつて推していた人のことを、ほとんど口にしなくなった。兵役から帰ってきているのかどうかさえ私は知らない。

なんの未練もなく担降りするのはなかなか難しいことなんだろうなと思う。未練だけじゃない。まるで一生ついていきます!という気合で推していた自分を否定することになる。なんだか恥ずかしい。きっと推しを推していたことが黒歴史になってしまう気がするのだ。

そういう一切の感情を持たずに担降りした母、いや担降りさせた子犬というのはすごい。

 

だから私は担降りしたくなったら、小型犬を飼おうと思います。

 

 

 

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「同担殺す」系リアコオタクに読ませて感想文を書かせたい本

 「同担殺す」そんな物騒な思考の持ち主が隣の席に座っている可能性があるという日常、それが我々若手俳優オタクの生きる世界である。

 

ご存じの通り(?)私は筋肉少女帯というバンドが好きであり、そのボーカル大槻ケンヂ氏の世界観にかなり影響を受けて生きてきた。(このブログのタイトルも私の一番好きな曲『香菜、頭をよくしてあげよう』から勝手に借りました。すみません。)

ミュージシャンとしての活躍はもちろん、彼の書く小説やエッセイが大好きだ。あのホヨヨ〜ンみたいな文体で、核心をズバリと突いてくる、そんな文章が好きだ。

 

ところで、過去にも言及したかと思うのですが、(記事はいろいろあって削除済です。)若手俳優オタク、とくに私のような闇のオタクにとって「リアコ」の概念はとても興味深く、ずっとその正体が何なのかを考え続けている。「リアコ量産♡同担拒否×」みたいなファッションカルチャーを身に纏った女の子ではなく、「ノンファッションガチ恋、同担確実に殺す」みたいな、一見容姿ではわからなくとも、はてなブログや愚痴垢、お題箱には確実に一定数存在する、そんなオタクの心理のこと。(正直なところなんとなく気持ちはわからなくはないけれど、)その思考をうまく言語化できないというか。

 

先日ふと、「そういえばオーケンB’zの稲葉さんにガチ恋してる女の子の悩み相談に乗るみたいな話が書いてあるエッセイがあったな…」と思い出したのである。その内容がどうしても読みたくなって、エッセイを何冊か読み返してみた。(稲葉さんのエピソードが書いてあるのは見つからなかったのですが…)その何冊かの中の一冊に、私に答えを教えてくれるような文章を見つけた。

 

そういう経緯で今回は本の紹介。

『ボクはこんなことを考えている

第5章 恋を知らない少女たち

Fancy Free Strawberries』 感想文

 本の著者であるオーケンは80年代バンドブームを生き、その当時アイドル的人気のあったバンドマンである。(いろいろあったけど、50歳を超える今も現役のバンドマン。)職業こそ違えど、いわば我々若手俳優オタク各位の「推し」に当たる存在であった人物なのだ。この章はそんなオーケンが、自分たちを(あるいは他の同じような人気商売をしている人間を)追っかける少女たちの心理を分析する。追っかけられる側、つまり繋がりでもなければなかなか知ることのできない視点から、我々追っかける側を語っている。

 

 

リアコの「恋」は恋なんかじゃない

そもそもリアコとは「リアルに恋してる」の略なのだが、その「恋」というのは何なのだろう。我々オタクは推しの「推し」という偶像しか見ることができない。推しの人間の部分というのは、私たちには見ることが許されていない。オタクが見ている推しの、「推し」という存在が、推しの「人間」の部分と必ずしも一致していないこと、つまり推しとは商品であり、ブランディングされたものであるということに気付いているのはきっと私だけではないでしょう。

その偶像に対してリアコオタクが抱くのは、私は一般的な文脈で語られる「恋」ではないなとずっと思っていた。だからオーケンの言葉がその痒いところに手が届いたようにしっくりきたのである…。

思春期の成長過程で、少女は初めて、どうしても自分の所有物にならないもの=それが人によってはバンドマンなのだ=に出会い、自我の崩壊に遭遇する。「手に入れられぬものに出会ってしまった」自分とは、はたしていかなる存在なのだろうと悩み、心が震え、この心の震えこそが「恋愛」というものじゃないのだろうか?と美しくも大きな思い違いをするのだ。 

 自分が推しと出会い、その魅力に気付いてしまい、四六時中推しのことを考え、ハッとして気付くとティッシュのごとく万札を推しに使っている…。そんな経験、たぶんぼんやり生きていたらないと思う。たとえば一般的な「恋」をしたとして、そんな万札をガバガバと溶かすなんてこと、無い。そのうえ舞台やアイドルというエンタメは、非日常を演出するコンテンツなのだ。それはぼんやりと生きてきた人であればあるほど、衝撃的なものだと思う。少なくとも私はそういった実感がある…。オタクにとって推しとの出会いはそのくらい衝撃なのだ。自分が自分でなくなるような衝撃。そんな、自分が経験したことのない衝撃、心の震えを「恋」という概念に思い違いをしてしまうのだオーケンは言う。

しかしオーケンがこう指摘するのは思春期の成長過程にある少女だ。たしかにそんな年代の女の子もいる。しかし若手俳優のオタクというのはパッと見もう少し上の年代が多い。青年期、あるいは成人期初期が多いのかな。少なくとも私は壮年期の成長過程にあるアラサーのクソババアである。少女ではない。恋を知らないわけでもない。でも、そういった少女から抜け出せずに苦悩する人間がオタクになる確率が高いのかもしれないと私は思う。少女から抜け出せずに苦悩するとはどういうことか。

 

 

推しという偶像は「女性であらねばならない」義務からの解放

 生物学的に「女」として生まれ、育てられ、「少女」となった私たちはいつしか社会から、いや「男性」から、「女性」として生きることを求められるようになる。つまり少女であった時よりも圧倒的に、性愛の対象という視線を感じながら生きる場面が増えるということだ。しかし順応性の高くない人間(私のような…)は、それに対して息苦しさを感じることもあるのではないか。まだ自分の中に確かに残る、無垢な少女性を否定されているように感じるからである。

推しという偶像は一般的に、我々ファンという存在(概念)に対し、否定をしない。なぜなら偶像であり、ブランディングされた、商品だから。(同じ理由で肯定もしないんですけどね。そういった存在をただ受け止めるだけ。)

そういった、性愛の対象として生きることを強要してこない「異性」。それはとても特異な存在であり、心地よい居場所として存在してくれるのだと思う。それが推しだ。

ときにファンへの感謝をブログで述べ、接触イベントでは自分の言葉に笑顔で頷く。オタクたちはそれに、「少女性という部分を含めた」自分の存在を認めてくれていると感じ、そして推しという偶像はさらに都合のよい、居心地の良い場所となっていく。

 

この章の中に、気合の入ったバンギャ、オタクでいうところのガッツ「お耽美ちゃん」という女の子が出てくる。オーケンはお耽美ちゃんのようなガッツの行動を、幼児期の愛情不足というトラウマを埋めるために、自己存在確認のために「追っかけ」をするのではないか、と分析する。お耽美ちゃんはまだ若くて、それこそ少女なので、アラサークソババアには当てはまらないのかもしれないけれど…。

自分に置き換えて考えるとするならば、「性愛の対象であらねばならない」現在進行形のトラウマを埋めるため、その義務感からの解放を求め、少女性の残る自己の存在確認のために、推しを推しているのではないかという気がしてならない。

 

 

推しを嫌いになる正当な理由を探し続けている

ロック界隈に蠢く女の子たちは、常にその顔ぶれを変えていく。まるでシャボン玉のように、ふいに現れてはふいに消えてゆくのだ。

そんな消えた女の子たちと偶然街ですれ違ったオーケンは言う。

彼女たちはもう、いろいろなことに気付いたのだ。いくら夢を託しても、結局アーティストが自分にとってステイタスにはならないのだという真実を。また、その世界よりも、実は自分のテリトリーの中に夢を探す必要があるのだという事実。そして、アーティストに対する恋のようなものを捨てることが、少女から大人になるためのワンステップであるということに。

 自分の中に残る少女性を手放したくない、そういう自分を認めてほしい。そんな居場所が必要。そうやって推しのもとに集まるリアコ寄りオタクたちも、いつまでもここに留まってはいられないということを、なんとなく感づく時が来る。自分の中に残る少女性を殺し、「大人の女性」として生きなければならないという義務を無視できなくなる時が。

 

そしてそういうオタクたちは揃いも揃って言う。

 

「推しは変わってしまった。」

 

はてなブログや愚痴垢やお題箱とかでめちゃくちゃ見る。毎日誰かが言ってない?

この発言、私はずっと一種の古参アピだと思っていたけれど、各位の推しが本当に変わってしまったのだとしたら、その人のオタクたち全員同じことを言っていないとおかしいんだよな…。

 

この、「推しは変わってしまった。」というのは単なる古参アピではなかったのだ。オーケンは言う。

アーティストに夢中になり、好きになるのは通過儀礼であり、いつかは必ず終わりが来る、と。

そして、出会った時のピュアなその想いを汚さぬよう裏切ることにならないよう、推しを嫌いになるための正当な理由づけをしようとしているのだ、と分析する。つまり推しと出会った時のあの気持ちを、「推しに恋をしていた」自分を、否定したくないという自己防衛が「推しは変わってしまった。」という理由で正当化させようとするのだ。

 

人間は本能的に、常に成長しようとする生き物だと思う。そして社会というのはそういった人間を評価し、成長のない人間は置いてけぼりにされてしまう。成長、つまり大人になることは人間が社会の中で生きる為の必須条件なのだと私は思う。

少女として生きることを社会的に認められなくなった女性たちは、その少女性を受け止める推しに出会い、リアコオタクになる。

しかし、それでも人間は成長しようとするし、実際「大人になる」という事象はシステムとして人間に組み込まれている。だからいつかは、推しを降りる日が来る。それはそのリアコオタクが、大人になる瞬間なのだと思った。

 

 

少女でいることは楽しいし愛おしい

以上がこの本を読んで私が考えたことである。これ以外にも、オタクはなぜ連むのかとか、ヤバいオタク(妄想でおかしくなってる人)の解説とか、ファンレに対する困惑とか、そういう「推し側」の視点が語られているのでとても面白かった。ただこれは、あくまでも大槻ケンヂ氏による私的見解であって、各位の推したちの意見ではないのでそこは分離して読んで欲しいです。でもまじでめちゃくちゃ面白いので是非読んで。

 

でもやっぱり、そうやって少女でいることって私は楽しいなと思う。人によって社会の生きにくさって違うと思うけど、社会で生きていくということは楽しいだけのものでは絶対にないから。お金を払ったら一時避難所が約束されるわけで、それはとても楽なことだから。

そんな居場所は心地よい。隣に「同担殺す」と思ってる人が居ようが、オタク同士戦争が起ころうが、某黒い場所にツイッター晒されようが、結局は相手も自分と同じような生きにくさを抱えている「少女」なのだ。

私はアラサークソババアだけど、大人になるにはもう少し時間が欲しい。いつか大人になる時に、またこの本を読み返したいと思っている。

 

 

 

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芋オタクが手っ取り早く垢抜けるために頑張るべきは化粧なんかじゃない①(ヘアケアまとめ編)

日常出会う人の中で、顔がかわいいとか、スタイルがいいとか、服装がおしゃれな人でも、なんとなく「この人オタクじゃないか?」となることないですか。私はある。なんか知らんけどオタクってバレるよな。そこはかとなく漂う芋感。漏れ出る秋の気配。

かくいう私は芋煮クソ女である。自分の見た目に自信があったことがない。

そのため現場のある日は、友人*1に全身の写真を送り、大丈夫かどうか、つまり芋感の有無を判定してもらう。嘘みたいだが本当の話である。

 

友人からの返信は基本的に2パターン。

「イケてる」or阿佐ヶ谷姉妹

この評価の面白いところは、私はほとんど化粧を変えていないというところにある。(服装もだいたい同じものを着回している。)ではなにか。

髪の毛である。

友人曰く、私がヘアセットがうまくいった日はイケており、うまくいってない日は阿佐ヶ谷姉妹の太った3人目なのだ。

つまり、垢抜けるために大切なのは髪の毛なのではないか。

 

思い返してみると、化粧品や服には気をつけているっぽいのに、髪の毛、(髪型や髪色ではなく)とくに髪質が残念なオタクというのは割と多い気がする。入場待機、物販列、接触ループ。なにかと列に並ばされる機会が多いが、自分の前に並ぶ人の髪の毛を見て、失礼ですが「キレイだな〜」と思ったことがあんまりない気がする。ごめん、ていうか、無い。

 

そういった芋臭の法則に気がついてから自分なりに、芋煮クソ女から抜け出すためのヘアケアやセットというものを勉強しているので、ここに記したいと思います。また当方ジリ貧、がさつという救えない芋のため、出来るだけお金のかからず手間のかからない方法にしか言及していません。(言及できません。)

(関係ないけどプチプラ特集みたいな記事で2000円以下!とか出てくると「えっ プチプラって300円とかじゃねえの?!」ってなっちゃう。)

 

相変わらず芋煮クソ女ではありますが、3ヶ月前よりはかなり髪質はマシになったので、なんとなく参考になれば幸いです。参考にならなければそれはすみません。人の時間を奪うというのは大罪である。

(素人ですので、明らかに間違ったことを言っていたらそれは本当に教えて下さい。)

 

 もくじ

 

髪の毛の傷みの原因

見えている面積の広いところから、人に与える印象というのは大きいということを知った。つまり髪と肌の美しさがその人の印象を大きく変える。(出展忘れました。)オタクから漏れ出てしまう秋の気配とはこれかもしれない。髪の毛が痛んでいたりまとまっていなかったり、肌が荒れていたりすると、いくらかわいいヘアメしてても、デパコス使ってお化粧頑張っていても、清潔感が無いように見えてしまうわけである。

 

私の場合、髪の毛の傷みを原因とするパサつきがとくにひどかった。

髪が傷む原因としては大きく3つある。

・パーマ、カラー材などの薬品

・ドライヤーやコテによる熱

・紫外線

(薬品に関しては不可抗力なので、美容院で出来るだけ傷まないように施術をしてもらうように頼むとかトリートメントしてもらうしかないと思ってるので触れませんが)

これらを如何に回避するか、そして傷んでしまった髪の毛の見た目、触り心地の改善に重点を置いている。

 

 

シャンプー&コンディショナー

これはもう私の中で絶対的なおすすめがある。

速乾タイプである。

「えっ、もっとなんか、髪に良さそうなやつあるやん???ノンシリコンの、美容室で買う高いやつとかそういうやつちゃうんか???」となったかもしれない。

私がこの速乾タイプを選ぶ理由は、ドライヤーをかける時間を出来るだけ短縮することで、熱によるダメージを減らすことができるという点。

エッセンシャルは速乾タイプ、メリットピュアンは速乾タイプとの記載はないが、なんか早く乾くのでこの2種類を交互に使っています。(シャンプー変えた時、最初の3日間くらい「わ〜なんかめっちゃサラツヤ〜!」ってなるのが好きなのであえて交互にしてる。)

あと安い。近所のスーパーで売ってる。

(美容院で買える3000円とかする高いやつも使ってみたことがありますが、結局わざわざ買いに行くのがだるいのと、シャンプーにそんなかけるほど稼いでないので、続かなかった…。)

 

どちらもシャンプーのみノンシリコンタイプ。使用感としてはどちらも特に問題ない。しっとりというよりはサラサラするので、これからの時期はとかに良いかもしれない。頭皮の荒れもなし。

 

シリコンについて補足。昨今の風潮としてシリコンは悪!殲滅せよ!シリコン政治を許さない!みたいなところがありますが(あるか?)、ノンシリコンは頭皮環境を整えるのには効果的ですが(抜け毛などの悩みには効果的)、傷んでしまった髪の毛を修復する効果はない。逆にシリコンは傷んでしまった髪の毛にツヤを出したり、摩擦を防ぐ効果もあるので、ダメージが気になる人はむしろシリコン配合のシャンプーを使ったほうがよさげ。

(ていうか、ノンシリコンを謳っていてもコンディショナーはシリコン配合されてる商品めっちゃ多いので気づいてない人多そう。)

 

 

トリートメント

これは髪質や悩みによって変えた方がいいと思うのですが…とりあえず私が使っているのはパンテーンの香味ペーストみたいなやつ。

近所のスーパーで激安だったので。(なんて?)

でもこの安いというのはかなり大事。なぜなら毎日使い続けることが重要だからです。

傷んでしまった髪の毛を修復するというのはなかなか難しいのですが、シリコン配合のトリートメントを使用することで、見た目や指通りを改善することはできる。また、傷んでパサついた髪を放っておくと、擦れやからまりによりさらにキューティクルが剥がれてダメージが加速することもある。トリートメントで髪の毛の表面をケアしておくことで、それを防げる。

せっかくの速乾シャンプー&コンディショナーの効果が薄れるのでは…?と思ったけど特にそんなこともないので気にせず使ってる。

たっかいトリートメントを現場の前日とかに使うのもテンション上がるからいいと思うんですが、髪の傷みは蓄積なので、それを最小限にするために、毎日トリートメントするのは必須と思います。お金も時間もそこまでかけなくてもいいので。

 

 

タオルドライ

わりとワシワシしています。気にしてない。

タオルもこだわりない。ニトリで400円で買ったバスタオルは2年くらい使い続けてガビガビになっている。

ただ、ここでかなりしっかり目にタオルドライします。ドライヤーの時間を減らす為。

 

 

洗い流さないトリートメント

つけたりつけなかったりしています。つけるのは、雨の日とか、湿気の多い日。理由はうねり防止です。

湿気によって髪の毛がうねるのは、髪の毛のキューティクルが剥がれたところから水分が入り込み、膨張するから。これに効果的なのがオイルです。

ルシードエル オイルトリートメント #EXヘアオイル 60mL

ルシードエル オイルトリートメント #EXヘアオイル 60mL

 


ドライヤー前でも後でも使えるし、ベタベタしないのでこれ使います。あとスーパーで売ってる。

うねりも抑えられるし、あとすごくツヤが出る。これつけた日に駅のベンチ座って電車待ってたら、知らないおばさんに「髪の毛のツヤすごいね〜」と言われたことがある。誰?

(ただつけない日もあるのは、匂いがあんまり好きじゃないから…くさいとかじゃないんですが、あんまり好みじゃないので、好みなのがあればすぐ乗り換えると思う。)

 

ドライヤー

ニトリで買った安いやつ。音が凄いする。本当はヘアケア用の、なんかよさげなイオンとか出るブルジョワなやつが欲しいんですが、給料ほとんど推しに突っ込んでるので…

乾かす順は、前髪→内側→後頭部→表面 と意識するようにしています。前髪はクセがあるので結構しっかりかけ、あとは乾きにくい順。乾かしやすいところからかけていくと間違いなくかけすぎるんで表面とか毛先が傷みやすいんですが、この順でかけると表面に関してはもうほとんど乾いているので、ほぼ当てない。

(美容師さんから、ドライヤーは8割くらい乾いたらOKだよと言われたけど、正直いまだに8割がどんなもんなのかよくわかってないです。)

 

 

紫外線対策

ほとんどしてない。なぜなら私は普段全く外に出ない。

自宅から地下鉄入口まで2分、その後夜まで全く日の当たらない場所で仕事なので、日光を浴びるのが24時間のうち2分しかないのである。

5分以上日の当たる場所に出る必要がある場合は日傘を差している。日焼け対策と、普段日光に当たらないので急に当たると体調を崩すため。そのくらいかなあ…

 

ただ、いますごく欲しいのがあるので紹介しておきます。

肌にも髪にも使えるっぽいし、何よりめっちゃいい匂いするという口コミを見たので、いまこれを買うか検討中です。夏のオタクは臭いが気になってしょうがないのだ。もし使ってるよという人がいれば感想教えてください。

 

 

 

まとめ

長々と書いたけど、書いてみると別に大したことはしてなかった…。芋のくせに背伸びしやがった勘違い美容系オタク(『6月の購入品♡』)(デパコス最高だけど、実はキャンメイクなんかも使っちゃうのよアタシ♡)(もちろん髪の毛はパッサパサ)みたいになった。実際そうなのかもしれない…。

でも、この大したことないの積み重ねで、本当に髪質は良くなってきてる。現場に照準を当てて生きていますが、現場前日になんとかしようとしてもそんな突然ツヤツヤの髪の毛にはなんないから、やっぱり日々きちんと手入れするのが大事だな。

長くなったので、続きはまた書きます。次は現場当日のセット編の予定です。

 

 

 

なんかあれば
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一生懸命作ったLINEスタンプ

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*1:このブログに出てくる友人というのは基本的に1人のことを指します。なぜなら私には友達が1人しかいない。

推しは「一夜の泡沫の夢」である 『LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜』感想文

朝起きて仕事に行き、べつにやりたいとも思っていない仕事をなんとなくこなし、帰ってなんとなくテレビをつけてSNSをチェックし、ユーチューブで霜降り明星みて、あとは寝る。その繰り返し。そんな平凡な生活、平凡な人生に意味はあるんだろうか。たぶんない。

(記事に関係ないけど言わせて、霜降り明星のすごいところは、ちょっと考えさせる絶妙な距離感のボケ、そのボケの痒いところに手が届きすぎているツッコミのバランス感だと思う。鋭すぎてもはやオシャレだなとさえ感じる…)

 

「なんでもない自分」という、価値や意味を見出すことのできない存在を確かに認識しつつ、でも「なんでもない自分」を認めることはできない。きっと私はなんでもない人間なんかじゃないし、まだ本気出してないだけ。そう思い込むことにして、また時間をただやり過ごす。そういった矛盾に違和感を感じながら、そこから抜け出そうと必死に行動しているわけでもない。

無気力、諦め、虚無感、焦り。生きることになんとなく居心地の悪さを感じながら、また平凡な日々を過ごす。

 

 

『LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』を観てきました。

『LOOSER~失い続けてしまうアルバム~』公式サイト

 

 

TEAM  NACSさんの同タイトル作品の再演です。

 

以下観てきた人向け感想文です。ネタバレも容赦なくします。(というつもりですがあたくし、前回はじめて感想文『明日、恋に落ちる相手はもしかしたら同性かもしれない 『Reading❤︎stage 「百合と薔薇」』感想文 - 頭を良くしてあげよう』を書いてみたのですが読み返したらまじで感じたことしか書いてなさすぎました。どんな話なのか全く見えてこない。あんまりレポートが得意じゃないみたいなので、話の筋に関しては、観た人以外には微塵もわからないかもしれません…。)

 

 

 

 

 

佐藤重文、30歳フリーター、(たぶん夢を追いかけるためにフリーターしてるとかではないねあれは)モチベーションが地の底、でもそんな現状や自分に満足してなくて。の割に友達の前ではヘラヘラしている。いやどんなメンタルで生きてんだ。逆に強いな。シゲの彼女はきっとダメ人間を好きになるタイプなんだろうなー、「この人は私がいなきゃダメなの!」的な。気の毒だなーなどと思いつつ、「飯だけ作りに来てくれないかなー」発言はさすがに引いた。

 

そういうめちゃくちゃ低いステージで生きてる人間への嫌悪。そう、同族嫌悪です。正直言ってシゲが抱える虚無感、ものすごくわかってしまった。わかりみが深かった。共感しかない。(佐藤重文、私の本名に近い。血液型も一緒、独身、当て書きかよ。)(出てねえよ。)

 

なんでもないんですよ私なんて。でもそんな、なんでもない自分を認めるほどの余裕もなければ、そこから脱出する気力も正直ない。シゲが自らを語る一人芝居のシーンは自分のことを言っているのかとグサグサきた。めちゃくちゃ心臓が痛くなった。

シゲは言う。

「せめて、非凡な夢が見たい。」

 

(「変わるために」と言って再び薬を飲むけれど、あれも結局、人任せな選択だよなあと思う。本当に変わりたい人間はもうとっくに動いてるんだよきっと。)

 

シゲはタイムスリップした先で山南敬助吉田稔麿という、自分ではない2人の人間として幕末を生きることになる。誠。大義シゲには理解のできない概念。それに文字通り命を懸ける新選組、そして幕末の志士たち。

「一夜の、泡沫の夢にございます。」

でも結局これは、シゲの見た夢でしかないのだ。

 

他人の人生を生きるなんて、現実にはできない。現実では生まれてしまったらあとは自分の人生をただ生きるしかない。頼んでもいないのになんでこの世に産み落とされ、こんなつらい思いをしなければならないのか。鬼束ちひろ的サムシングの残酷さよ。

自身の人生を生かすも殺すも自分自身だということはわかっているし、なんでもない自分が嫌なのであれば自分が動くしかない。ただそれだけ。自分の生まれ育った環境、能力、容姿、その他。自分を構成する諸々のせいにして、なかなか行動することが出来ない。挑戦するという選択の前に、挑戦をしない理由を捻出してしまう。努力は大事だけど、努力じゃどうにもならないこともある。「努力は必ず報われる」は報われたことのある人間、成功者しか口にすることが出来ないパラドクスだ。たいてい、手元に残るのは努力したという事実くらいなもので、報われることなんてそうそうない。と、私は思っています。(ひねくれすぎである。斜に構えて生きすぎだ、もういい大人なんだからもう少し真っすぐ生きてくれ。ダサいよ香ばしいよ~)

ならばせめて、非凡な夢が見たい。

 

他人の人生を生きることはできない。できないけれど、他人の人生を自分の人生の中に勝手に組み込んで、あたかも自分の人生であるかのような錯覚に溺れる方法がめちゃくちゃ身近にあった。というか無意識のうちに、私はそうやって生きていた。

推しを追っかけることである。

 

常日頃から私は「わしゃ夢を買っとんのじゃ、夢を見せてくれ〜、たのむ、ゆ、夢を見せてくれ〜」というスタンスで推しにお金を使ってきた。(過去記事参照)

板の上で輝く推しを見て、推しが挑戦する姿を、活躍する姿を見て、まるで自分の手柄であるかのように喜ぶし、実際嬉しいし、それを誇りに思うのだ。

"応援"というていを取ってはいるが、私がしていることなんて、結局推しのためになってるかどうかはわからん。私の推し、と便宜上言っているとはいえ、側からみたら他人自慢みたいなものである。「俺の中学のの先輩が芸能人なんだぜ!」みたいな(こういうこと言ってくるやつ本当にしょうもねえよな)、そのレベルだ。それでもやっぱり、推しの活躍は本当に自分のことのように嬉しい。この快感は自分の、平凡な日常では絶対に味わえない夢なのだ。これがお金で買えるなんて安い。だから抜け出せない。いつまでも推しという他人の人生に勝手に乗っかって、夢にうつつを抜かしているわけです。

 

物語のラスト、シゲは土方と桂を自分の言葉で説得する。山南でも吉田でもなく、佐藤重文として叫び、自ら選択をする。

「土方さん、俺に斬れって言わないでください。」

「桂さん、俺に逃げろって言わないでください。」

「俺、甘いから」「やり遂げた気になっちゃうから」「逃げちゃうから」

 

他人の人生を生きることで、シゲは自分の中に眠っていた自分自身をようやく起こすことが出来たのだと思いました。シゲは変わったわけではなく、ただなんでもない自分という存在を認めた。そしてそのなんでもない自分が思うままを素直に言葉にした。それは確かに強さで、誠、大義を貫いてきた人間をも動かす力になった。

現代に戻ったシーン、シゲは結局、なんでもない人間のままだ。何も変わらない。冒頭スタンドインの役回りしか貰えなかった友人の伊野尾は大銀河ドラマで役を貰えるが、シゲはそのまま30歳フリーター独身。総理大臣ってどうやったらなれるのかな、とか言ってまたヘラヘラして、もちろん肩書きはそのまま、何も変わっていない。

 

ラストシーン、新撰組をバックに、シゲは前を向いて歩き出す。暗転。

 

このシーンに、とても救いがあった。

結局、なんでもない自分という「状況」は、ちょっとやそっとじゃ変わらない。変わらないけれど、そんな自分を認めることはできるし、歩き出すことができるんだ、と思った。シゲはただ一夜の泡沫の夢を見ていただけじゃなかったんだ。その夢の中で必死に自分と向き合ってたから、歩き出せた。

 

私にとっての泡沫の夢、推し、そして現場に通うこと。ただ夢を見ているだけのようで、実は学ぶことがたくさんあるなあとふと思う。推しの挑戦を楽しむ姿勢とか、推しから学ぶこともある。結局強いオタクとは行動してる人間である、ということを同担から学んだり、インターネットは嘘ばかり、とか、遠征は疲れるからキレートレモンをがぶ飲みすると良い、とか。

とにかくただ平凡に、ぼーっと時間を消費するだけでは経験し得なかったことがたくさんあるのだ。だからもしかしたら、私も気づかないうちに前に進もうとしていたのかもしれない。自分と向き合っているのかもしれない。

 

なんでもない自分を認めることは未だに出来てはない。でもこの先、一歩進み出そうとした時、逃げてしまいそうになった時はきっと、そっと背中を押してくれる、私にとってはそんな作品になったのでした。

 

 

 

 

 

TEAM NACSさんの作品のリバイバル、どんな感じになるのだろうと楽しみにしてたんですが、キャスト5人だからこその作品に作り上げていく瞬間を観られてよかった。冷静に考えるとモノマネが日替わりてなんぞ???そういうの大好きだ。

 

いつかまたこのキャスト5人でTEAM NACS作品を…となったら『COMPOSER ~響き続ける旋律の調べ~』これがめちゃくちゃ観たいので、是非!よろしくお願いします!どうぞ!まじで!よろしくお願いします!勝手に復習しておきますのでどうぞ!よろしくお願いします!

 

 

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オタクvs劇場での爆発的尿意 戦いの記録2019〜心因性頻尿の治療ログ〜

現場で推しを観ている時、それは突然やってきた。まさか、そんなはずはない…。気にしないようにすればするほど、それは私の思考回路を奪い、全身の血の気は引いていく。推しのことなど考えられなくなり、もはやこれまでかと覚悟するーーーーー。

 

尿意である。

 

これは私と尿意との、約半年間に及ぶ戦いの記録である。

 

 

 

 

2月某日、私は浮かれていた。推しの舞台は久々で、それはもう、開演の2時間も前に現場に到着してしまうほどの浮かれようでありました。何度も鏡を見ては化粧を直し、トイレもばっちり。開演です。

舞台上に現れる推し。高まる鼓動。ああ、このために生きてるなあ、と思いながら双眼鏡を覗く。

 

開演して20分ほど経ったでしょうか。突如として違和感を感じたのをはっきり覚えています。かすかな尿意。おかしい、トイレはばっちり済ませたというのに。

 

普段私は尿意を我慢するのは得意なほうで(我慢するな)、そもそも一日にトイレに立つ回数も少ない。勤め先で人員が足りず、6時間ワンオペになった時でさえ特に問題なかったのです。(6時間もワンオペをするな。)そして、私は現場に入る前日の夜からは、むくみ対策の為にほとんど水分を取らない。

 

その私が開演20分でトイレに行きたいなど、あるわけがない。そう思うことにして、推しに意識を集中させる。しかし、行けないと思えば思うほど尿意は強くなり、1時間も経つ頃にはもはや尿意のことしか考えられなくなっていた。

 

開演中に席を立つ人は普通に毎公演見るし、それに対して私は特に気にしないタイプである。気分が悪くなったとか、トイレに行きたいとか、生理現象だし、その場で倒れたりでもしたらそれこそ大変だ。でも、いざ自分がそういう状況に立つと、どうしても席を立つことが出来なかった。チラリと横に座っている人を見ると目を輝かせて舞台を見つめている。ものすごくいい顔をしていた。そんな人の視界を遮るようなことが、夢の世界に土足で上り込むような真似が出来るもんか、という気持ちになった。

 

我慢するしかない。休憩時間まで約1時間。脂汗を垂らしながら我慢し、休憩時間即ダッシュ。危うくフライングするところだった。

 

間に合った。社会的な死を免れた。そういう安堵とともに、最強の虚無感が襲ってくる。

 

舞台のこと、何も覚えてねえ…。

 

私は今日、劇場に何をしに来たんだろう。おしっこをしに来たのか?やっとの思いで手に入れたチケットをドブに捨てたような、いや、トイレに流してしまったかのような気持ちになった。

 

そんなことが3度ほど続いた。「頻尿 対策」「観劇 尿意 我慢」などと検索しまくり、尿意対策を万全に整えたが、(厚着をする、手元用カイロ、背中、つま先に貼るカイロ、水分は取らない、締め付けのない服装、開演前に2回トイレに行くなど)それでもダメだった。どうしても途中で尿意が襲ってくる。漏らしはしないものの、毎回限界突破し、記憶が空白の時間が爆誕してしまう。

 

 

 

「もう、大人用オムツを履くしかないのかもしれない…。」

 

絶望の中そう母にLINEをすると、「病院に行きなさい!」との返事が返ってきた。もしかしたら腎臓の病気で頻尿なのかもしれないから、一回病院で診てもらいなさいと、しつこいくらいに言ってきた。

私は過去に腎臓の病気で倒れたことがある。また私の弟は学童野球をしていた時に友達と衝突、腎臓が破れて入院したことがあるので、うちの母親は腎臓には敏感なのだ。

 

大人用オムツを履くにはまだ若すぎる。アラサー(尿意)限界オタクのプライドは高かった。普段めったに病院に行かず、精神的な病以外はなんでもポカリで治してきた私だが、今回ばかりは推しのため(?)、早々に病院に駆け込んだ。

 

「観劇に行った時だけ尿意が我慢できません」そう書いた私の文字は尖りながら震えていた。

 

先生はとても優しい女医さんだ。

「何を観に行っているの?」「2.5とか、たまに宝塚とか…」「へえ〜、テニス?自転車?」「刀…」「最近のはよく知らないんだよねえ〜」というやり取りをした。多分この界隈の先輩なんだろうなと思った。

 

検査と診察の結果、腎臓に異常はなく、心因性頻尿」であることがわかった。ちょっとした環境の変化や、精神的なことが原因で起こってしまう頻尿である。劇場という気軽にトイレに立てない状況、推しが目の前にいるという高揚感と緊張。

また精神かよ。私のメンタルのナイーブさ、おぼろ豆腐の如しです。それに加えて、現場というテンションの上がる状況も、嬉ション的な要素を生み出してしまい、爆発的な尿意を引き起こしていたのだ。

(ちなみに、頻尿には関係ないが普通に膀胱炎だった。日頃おしっこは我慢するな。)

 

漢方を処方された。名前は忘れてしまったが、不安を和らげ、リラックス出来る、いい薬だと言われた。

しかし、常日頃から私は東洋医学を全く信じていなかった。占いとか都市伝説級の信用のできなさだと思っているのだ。(信じている方はすみません。あくまでも個人的にです。)

病は気から。逆プラシーボ効果により、この漢方は私には全く効かなかった。それどころか、飲んだ後公演時間中ずっと口から雑草をすり潰した時のような臭いがするのである。隣の席の人に「雑草」と思われる恐怖とおなじみ尿意で観劇どころではない。すぐに処方を辞めてもらった。

 

次に処方されたのが、デパスという薬である。

 

で、出〜!!!メンヘラすぐ飲奴〜〜!!!

 

ていうかこれ、家にいっぱいある!!!精神を病んで心療内科のお世話になった時に処方されていたやつです。(家にいっぱいあってはいけません。)お久しぶりです!

デパス睡眠薬としても使用される薬なので、先生は眠気を心配していたが、そもそも不眠の気がある私を舐めてもらっては困るし、デパス0.5 VS 推し、推しの圧倒的勝利であった。

 

現場前には必ずこれと、過活動膀胱の治療薬を飲む。

これはとてもよかった。あんなに悩んでいた尿意に襲われることはなくなった。薬というのはすごい。

推しの演技に集中できる。感動できる。普通のことが普通にできるようになって、嬉しかった。

あの爆発的な、社会的死を覚悟するほどの尿意にはじめて襲われてから、1ヶ月半が経ってしまっていた。

 

薬を飲みはじめて約半年、最近では、マチソワ間にアイスコーヒーを飲んでも、ステラボールで2時間も空調に吹きさらされて完全に冷え切っても、尿意は無い。

しかしまだ薬は手放せないし、開演前には2回トイレに行く。トイレに行きたくなるのが怖くてすごく不安になる時もあるので、現場がある日はデパスを持ち歩いている。不安になった時は「私が昨日から摂取した水分はこのくらい、私の体内の水分量からして2時間我慢できないわけがなかろう!」と自らを鼓舞することにしています。これ、結構大事ですね。

 

今日から大阪公演、尿意に負けず元気に現場に向かいたいと思います。

 

完全なる私の勝利はまだ先だが、希望の光は少しずつ私を照らしはじめているーーーーー。

 

fin.

 

 

劇場での頻尿にお悩みのみなさんはぜひ一度病院に行ってみて下さい。

 

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明日、恋に落ちる相手はもしかしたら同性かもしれない 『Reading❤︎stage 「百合と薔薇」』感想文

「好きなタイプ」を聞かれた時になんて答えますか?

この質問に、私はいつも困ってしまう。

 

自分がどんなに努力したところで、どうにもできないことがある。社会に認められず、いや認められないどころかむしろタブーとされた歴史的、文化的背景。時代が変われば世代が変わり、考え方も変わる。過去に比べたらきっと寛容になってきたんだとは思うけど、それでも「みんな一緒」が良しとされる日本人的感覚において未だにそのタブー視は消えていないと思う。

 

Reading❤︎stage 「百合と薔薇」薔薇編を観てきました。

Reading♥Stage「百合と薔薇」 | Nelke Planning / ネルケプランニング

 

観劇記録は意外とはじめて書きます。感想というか、観劇して考えたことを書いただけ。脚本についてしか書いてません。キャストや演出、お芝居に関してもめちゃくちゃよかったけど、今回は触れてません。

 

以下容赦なくネタバレ含みますので自衛よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

性的指向は人の数だけあると思っている。LGBT、性的マイノリティというのも単なるカテゴリ分けで、実際誰を好きになるかなんてカテゴリ分けできるもんじゃないし、ましてや他人にカテゴライズされたくもない。でも、人間というのは何かと所属を明らかにしないと気が済まないんだなと思う。

 

ゆうきゃすやアキラが抱える、自分自身ではどうにもできない気持ち、社会、あるいは文化的視線という恐怖。そして、その真っ直ぐな気持ちが自分の愛する相手を不快にさせてしまうのではないかという苦悩。どれだけ自分を呪ったのか、社会や文化を憎らしく思ったか、そして、死ぬまで性別という単なるカテゴライズに翻弄され続けないといけない現実の残酷さたるや。悲しすぎるだろ。

ヒカルはそれを「否定もしないけど、肯定もできない」とはっきり言う。

 

唐突ですが先日、友人が彼氏に振られた。その理由が「女性として見れないから」でした。めちゃくちゃ落ち込んでいた。友人との付き合いは13年になりますがあんなに落ち込んでいるところを見たことがない…(と思ったけどらぶフェス2018プレ先行で全落ちした時も同じくらい落ち込んでた。)

私も同じことを言われたことがあります。

「女性として見れない」

い、いやいやいや、えーっ、いや、はあ?

てめー私を穴として見てんじゃねーーーよ!!!!

なーにが女性として見れないだよ?!かっこつけてんじゃねえよ!せめてお前じゃチンコ立たないですってはっきり言えよバカタレがっ!!!!

と、思いました。冷静に考えて思いました。別に好きな人でもなかったし余計腹立つよな。なぜ勝手にお前に性的対象として見られなければならないのか。キモいわ。

 

生物学的性の例を出してしまいましたが、社会的性いわゆるジェンダーもそう。"女らしさ" "男らしさ"ってなんなんでしょうか?それは私という人間を構成する何割を占めるのでしょう?

 

自分がただ相手の幸せを思い、ただ側にいさせてもらえるだけでいい、そういう風に愛したいと思った人に、自分ではどうしようもない部分で自分を評価される。

「女性としての評価=相手からの自分に対する評価」

それは自分の存在自体を認められることはなく、(つまり愛されることはなく)それだけならまだしも、性的対象としてアリなのかナシなのか、としてしか見られていないということ。過酷すぎるだろ。普通に「嫌い」と言われたほうが断然マシです。そりゃ友人も落ち込むわ。(そういう価値観の人に夢見てたのがバカだし、長い目で見たら時間を無駄にせずに済んでよかったと思うけど。)

何が言いたいのかというと、恋愛をする上で、性別が相手という人間を判断する材料になるというのが、私は昔からずっと、よくわからない。女性、男性って、単なる体の作りや、社会から演じることを命じられた虚像ではないのか。人を好きになるって、うまく言葉にできないけど、もっと大切なことがあるんじゃないかと私は思えてならないのです…。(私は端的に言うと性が気持ち悪い。こじらせてる自覚はありますが…)

そういう、性に対するある種の苦手感覚がある私にとって、この朗読劇はとても刺さる。

 

ヒカルが「否定しないけど、肯定もできない」と言ったのは、アキラの性的指向に対してなんですよね。それはヒカル自身に異性愛者としての自覚しかないから。理解することができない。それを素直に口にする。

 

しかし、ヒカルはアキラという存在自体を認め、愛した。だから手を差し伸べて、キスをしたわけです。そこに性別という評価基準はなかった。だから愛してる、とアキラに伝えられたんだと思う。

 

羨ましすぎませんか。私はとても羨ましいと思った。

性という、単純に見えて最強に複雑なカテゴライズを手放し、アキラをアキラとして認めて、愛してると伝えることができるヒカル。

そりゃアキラも惚れるよ。五所川原さんもヒカル先生はもっとモテていいんじゃないかって言ってたし。まじわかる。ほんまそれ。卍卍卍

 

アキラはヒカルのそういうところを好きになったと言っていた。泣きながら、それでも一生懸命に笑顔で、自分の苦悩とヒカルを愛した自分を明かすアキラが悲しくて愛おしくて、息が止まるかと思った。

最後、ゆうきゃすがヒカルと一緒に暮らしはじめたのも納得できるなと思いました。ゆうきゃすやアキラが抱えて生きてきた呪いを解く、そういう力がヒカルにはあった。そういう人に出会い、恋をしていたアキラは本当に幸せ者だと私は思う。

 

以上のようにして、多様性とかそんなのも全部ひっくるめて"性"の概念をぶっ飛ばした、(ネルケさんの言葉を借りると)「ピュアな恋」に私はまんまと胸をときめかせたのでした。最後はロートZやマルちゃん赤いきつね緑のたぬき等、商品名で爆笑していたことも忘れ、ただ泣いていたのでした…。

 

 

(補足、推しを推してるのがアキラの気持ちとダブるというヒョロヤーのツイーヨでウウッとなった。たまたま好きになったのが推しだった、好きの種類は違うかもしれないし、それだけの話なんだけどそこは複雑なんですよ。)

 

次、自分が恋をする相手は異性かもしれないし、もしかしたら同性かもしれない。職場の人や友達かもしれないし、めちゃくちゃ年上かもしれないしめちゃくちゃ年下かもしれない。もしかしたら若手俳優かもしれない。それはわからない。でも、たまたま好きになったのがそういうカテゴリに属する人だったってだけ。結局人間は何かしらのカテゴリの中で生きるしかないけれど、そういうカテゴリに縛られずに、ただ相手を好きになるという気持ちを大事にしたいなと思える舞台でした。アキラやヒカルのように、あなただから好き、を大事にできる人でありたい。すごくよかったです。百合編も観たかったな。

 

恋!したいね〜!(キャッキャ)

 

補足:トイッターでレポ漁ってたら公演日によって内容が少し違うみたいです。それ知ったら余計めちゃくちゃ良いな…好きだ……

 

 

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最悪なオタクの人以外は読まないでください

好きな曲だけプレイリスト化して、そればっかり聴くクセがあるのですが、今日はなんでかわからないけど、シャッフルしてたら出てきたの。

 


[フル] 筋肉少女帯「中2病の神ドロシー 〜筋肉少女帯メジャーデビュー25th記念曲」

 

久々に聴きました。やっぱり筋少サウンドはしびれるねえ。この時のPVのオーケンの衣装が好きなんだよなあ、白衣かと思いきやちゃんと背中に南無阿弥陀仏。私が事あるごとに特攻服を着たがるのはオーケンへの憧れなのです。

 

そんなことはどうでもいい。すみません。この曲がなんかとても自分にとってタイムリーで、うわあ…となった話です。

 

以下、最悪な闇のオタクの話なので(繋がり、カノと言った言葉が飛び交う)光のオタクの方々はスクロールせず青空文庫 Aozora Bunkoで美しい日本文学でも読んで下さい。

 

 

 

 

 

 

はじめに、誰のことを言ってるとかじゃないんで、マジで深読みしないでください。私は基本的に概念の話しかしてません。それと私の推しが誰なのか、隠してないけどバレてるのも恥ずかしいし、とりあえずこういう最悪なオタクにつかれてかわいそうだな、って思うくらいにしておいて下さい。推しは何も悪くない。じゃあなんでこんなこと書くんだって思ったら、それは私が弱いオタクだからです。

 

 

 

 

 

匂わせ、カノバレ、繋がり、「ご報告」、そういう類の話がまじでクソ地雷。(地雷じゃない人間がいるとすれば全員茶の間DDだと思っています。)

こういうこと言うとね、リアコとか言われそうですけど、そうじゃないんだよなあ。自分がリアコではないとべつに否定するわけじゃない。そういう気もきっとあるから、どっちとも言えない。

じゃあなんで地雷なのか。

 

私は現場に何をしに行ってるかというと、夢を見せてもらいに行ってるんですね。

推しの活躍する姿を見ること、推しが夢を叶える瞬間に立ち会えること、その瞬間の一部分として存在できること。これってめちゃくちゃ夢があるでしょ。

それと、これは個人差があると思うけど、私は元々中華の火力の夢女であるからして、若干推しに夢見てます。別に本気じゃない、脳がそういう作りになっているので、お花畑と言われてもいい、それも否定しない。(てか、「世の中の通称"リアコ"って結局これ」説あると思うんですがどうなの?現場行かずに繋がり狙いの人とかは別にして。)

 

夢を見られるから、夢を見せてくれるから、その対価として私は推しにお金を使うわけで。夢を買いに行ってるんですよ。現実は苦しく辛いことばかりだ。だからそれに対して、高いと思ったことは無い。推しは必ず夢を見せてくれる。そういう信頼がある。じゃなかったら(こんないろいろ失いながら)追いかけてない。

 

匂わせカノバレ繋がりご報告、何が嫌って、否応無しに現実に引き戻されることです。最悪です。良い夢を見てたのに知らん奴に叩き起こされる、こんな最悪なことがあるか。

たとえば推しのブログにご報告というタイトルの記事がアップされたとして、それがしんどい人もいるわけじゃないですか。それに対して「推しだって人間なんだから!人間としての推しの幸せを喜べないの?」的なやつ絶対毎回見るけど、全員くたばれ。…すみません、言葉が過ぎました。おくたばりになって下さい。人間としての推しが、プライベートで幸せなこと、それはとてもいいことだよ。でもそれに金払ってるつもりは、私はマジでないのだ。喜べないとかじゃない、それとこれとは別って話。

 

推しが推しであること、たくさんの選択肢の中から今の推しとして存在する道を選んで来たこと、その結果が現場で夢を見せてくれる推しです。本当に感謝しかない。そうやって在り続けることの苦しさ辛さは私には絶対に分かり得ないからこそ、感謝の気持ちでいっぱいだし、大好きだし、応援したいし、ずっと夢を見させて欲しい。

平均年収以下、権力もない、容姿が優れているわけでも、超能力とか使えるわけでもない。ただのいちオタクが推しにできることなんて、できる限りの現場に通い続け、楽しむことくらい。あと祈りを捧げるとか…そのくらいだと思っています。それが推しの幸せになってるかどうかなんてわからん。推しになってみないとわからないよそんなの。

それでも、一生懸命応援したい、夢を見させて欲しいんですよ私は。これはエゴだ。でも、心の底から思っています。

 

だから頼むよ、全国のカノ、繋がりの皆さん。頼むからとんでもない角度から現実を突きつけるのをやめてくれ。私は勝手に推しに夢を見てるだけです。私が見てる夢というのは現実の推しじゃないんですよ、推しという偶像で、私が作り上げた虚像です。幻なのです。

 

ここまで長かったけど、つまり歌詞の

 

そのバンド本当はいなかった

25年見てたのは自分の心さ

 

っていうのがどうも引っかかってしまったという話で。(ブログタイトルもそうなんだけど、私は筋少に人生を教えられがちである…)

最近また病んでるとかじゃないんです。別になんかあったとか(無くはない)、そういうことでもなく、むしろ最近とても充実してるし楽しいんだけど、ふと立ち止まって考えてしまった。

 

もう別に、下に見られたって、負けだって良いよ私は。実際、人間としての、現実の推しを幸せにできるのは、カノや繋がり、あなた方なんでしょう。だから推しのまわりにうじゃうじゃ湧くオタクなんかかまわず、それを一生懸命やってください。人としての推しを幸せにしてあげて下さい。

(あと、繋がったら燃やすまでがセットみたいなのもまじでやめて下さい。どういうつもりなんだよ、導火線か何かなんだろうか。)

 

よろしくお願いします。

 

とか言いつつ、そういうの無駄に勘ぐったりリサーチしてみたりする自分もいるわけで。正しいこと、間違ってること、それをはっきりさせたい。安心したいから。でも今のところそれが自分の首をキッツキツに締めることになっている…

この界隈で長く夢を見続けるには、鈍感であることが絶対条件だと思う。

 

推しに夢を見続けるための条件、以下3S

  1. 調べない
  2. 騒がない
  3. 知らないふり

この3Sを遵守し、長く夢を見続けたいと、心から願います。

 

 

けど結局、夢っていうのはいつか覚めるものなんだよなあ……

 

 

ここから宣伝なんですけど、ここまで耐えて読んでくださったということはきっと闇のオタクの方々だと思います。そんな闇のオタクの皆さん向けのスタンプを作ったので…すみません嘘です。自分用に作ったけど自己顕示欲の塊なので、ここで発表させて下さい。よかったら買って死ぬほど使ってください。もちろん売上は全て推しに使いますが。

yami_no_otaku1 – LINE stickers | LINE STORE

 

 

 

推しに使うお金が足りないので夜の世界に飛び込んだオタクがどうなったか

お金がない。とてもじゃないが本業の給料では推しに使うお金は足りない。しかし現場は行きたい。茶の間で楽しむ自信はない。

こうなるともう、副業しかねえなと思いました。もちろん、昼の仕事は副業禁止である。が、もう毎月のカードの支払い額がしのごの言ってられなくなってきた。昇給もボーナスも期待できない。売れるものは大体メルカリで売った。あと売れるものといえばもう自分の労働力と時間くらいである。過去に友人が歯の矯正の為にスナックでバイトをしていたのを思い出した。夜しかない。

 

しかし私は夜には無縁の人間で、なおかつアラサーである。こんなのを雇ってくれるところなんてあるのかとめちゃくちゃ緊張して面接に行った。

最初のお店はスナックとラウンジの間くらい(スナックとラウンジの明確な違いは説明できないけど、スナックよりは少し価格帯が高いというかなんか広いし…)カウンターメインで卓が2つくらいのお店だった。

意外なことに面接に行った瞬間採用だった。ママに「あなたは少しぽっちゃりしてるから、もっとふんわりしたドレスを着なさいね」と言われた。それはそうだ。この1年で20キロ近く太った私は誰がなんと言おうと太っている。ぽっちゃりではなくデブだ。ふんわりしたドレスを着るとマツコデラックス女史そっくりになってしまうのだが、とりあえず言われた通りにした。ここはちょっとしたドレスやワンピースの着用が義務だった。髪の毛はサロンに行かずとも巻くぐらいで良かった。

店のオープン前に、先輩から業務内容を教えてもらった。お客さんにおしぼりを出すタイミング、水割りの作り方、灰皿の下げ方。いわゆるテーブルマナー、これは店によってやり方が違うので、その店でどうしているのかはしっかり覚えないといけない。

私に教えてくれたのはこのお店の女の子のヒエラルキーの頂点に立つ先輩だった。名前はミクさんとしておきましょう。

さて、私は販売はしたことがあるけれど、飲食店で働いたことがなかったので、まず水割りのつくり方さえ知らなかったのであるが、ミクさんはニコリともせずに「適当に氷入れて、お酒入れて、あと水な。んで、混ぜて出して」と言った。

いや、わかる。それはわかるけど、分量とか、どのくらい混ぜるとか、分からんのである。お酒はどのくらいですか?と聞くと「こいつこんなんもわかれへんのかい」という顔で、しぶしぶ教えてくれた。めちゃくちゃ怖かった。

このお店の人たちは、基本的に新人を試す感じだった。初日から容赦なく一人でお客さんに着け、一度説明を受けたあとは助けてもらえない。そういう新人教育もあるのかもしれないが、新しい環境に馴染むのが天才的に下手くそな私にはなかなかキツかった。お客さんと何を話したらいいのかもわからない。自分でもわかるほど不器用にただニコニコしながら別の卓についている時、ママと先輩がお客さんに、どうやら私のことをコソコソと話しているのに気づいてしまった。無理だと思った。悪口というのは聞こえなくてもわかるものである…。

最終的に、2回目の出勤後にママから時給を下げますねというメールが来たので、向いてないので辞めますと言って辞めた。もう時給とかはどうでもよくて、ただ辞めたすぎたので辞めた。

 

2つ目のお店も、面接に行った瞬間採用だった。このお店は立地のせいもあるかもしれないけれど、最初のお店よりも少し価格帯が高く、どちらかというとクラブという感じだった。しかし服装は自由、カジュアルで全然良いし、なんとパンツスタイルでも良い。マツコデラックスにならなくても良いのである。

ここのお店の人たちは本当に優しい。何度でも教えてくれるし、何をしても「ありがとう!」と言う。なんだここは?今まで「地獄だってもうちょい褒めるだろ」ってくらい褒められない環境でしか働いたことがないのでびっくりした。

お店の女の子たちの雰囲気は本当にママに影響されるんだなと思った。ママは口癖のように「ありがとう!」と言うし、やり方を間違えれば何度でも教えてくれる。ありがとうは何度言われても嫌な気にならないから、私も口癖にしようと思った。(意識してるけどなかなか大変ですねこれ。)

 

お店の女の子たちは、みんなそれぞれ個性が強い。美人、ボーイッシュ、天然、おっぱいがでかい、信じられないくらい明るい、めちゃくちゃ酒が飲める、とか。お店によるとは思うけど、このお店はみんなそれぞれ違う、まじで違う。夜の世界で想像するような、ギラギラした派手な感じの、女の世界!!!みたいなのはちょっと違った。

私はブスでありデブだ。酒もそんなに強くなければ話も出来ない。しかし、私はたまたま猛烈に歌が上手かった。自分で言う。歌が、猛烈に、上手い。でもそれに最初に気づいたのは自分じゃなかったのだ。お客さんに言われて歌ったら、ママが「めちゃくちゃ上手い〜!」と言ってくれて、お客さんが盛り上がったので気づいた、ああ私は歌が上手いんだと。(普段いっしょにカラオケに行く友人が上手いのでマジで自分なんてなんてことないと思っていた。)

だから歌う。するとお客さんが喜んでくれる。お酒を飲ませてくれる。

 

それぞれの個性をお互いに大事にするのって大事だなと思った。ブスでデブでも、それさえ個性として、いいところとして、認める。そしてそれをどうやってお客さんに楽しんでもらうか。喜んでもらうか。

甘い世界じゃないことはわかっている。でもそれが店の売上になるし、バックとして自分の給料についてくる。

私の昼の仕事は、お客さんの求める答えを言い続けなければ、演じ切らなければならない。自分を殺して殺して殺しまくる世界である。お客さんの求める答えを出さないといけないのは夜も一緒だけど、自を殺さず、むしろ出していいのは楽しいし、自分を認められるのが正直言って嬉しかった。お客さんに2時間半「痩せろ」と説教されても、嫌な気持ちにならなかった。「お前は痩せたら絶対に伸びる」という説教は「ふんわりしたワンピースを着なさい」よりもかなり効いた。私を認めた上での「痩せろ」である。あの説教から頑張って2キロ痩せた。

 

そんな感じで少しずつ夜に慣れてきたところで、突然ですが辞めることになりました。

 

昼の仕事の状況が変わった。内緒で夜働いてる場合ではなくなった。何より身体がもたない。昼も夜も共倒れしたら元も子もない。かといって夜一本でやって行く覚悟もない。お店にも迷惑はかけられないから辞めることにした。

私は結局、甘い。

 

(でもママが、「お店がイヤじゃないなら、来ていいからね、忙しい日は手伝いに来たらいいよ」と言ってくれて、私は嬉しくて申し訳なくて泣いた。)

 

そりゃいいことばかりじゃないし厳しい世界だ。こんな簡単に辞めるなんて、この道一本の人たちにはとても失礼だし、迷惑な話だと思う。と同時にとても尊敬する。だから辞めたほうがいいと思った。

しかし、推しに使うためのお金が足りなくて始めた夜の仕事で、なんだか大切なことをいろいろ学んでしまった。自己肯定感の持ち合わせが一切ない私が初めて、自分の価値はゼロじゃないと感じることが出来た。予想外のベクトルから、すごくいい経験が出来たな〜と思っている。

 

 

そして、結局推しに使うためのお金は足りないまま、今月もカードの支払い日は迫っております。

推しに迷惑がられないファンレターを書くために私がやっていること

(一年ほど前に別の場所にあげた文章を修正して再掲します。) 

 

 我々オタクと推しとを繋ぐ、魔法の箱。

劇場に行くと、ロビーにその魔法の箱は設置されています。

プレゼントボックス。
私は今まで何十、いや何百枚に及ぶファンレターをプレボに突っ込んできました。一生懸命書いても後から読み返してみると100点満点中2点みたいな、かなりの量の紙屑を量産してきたわけです。限りある資源を無駄にするな。しかしそれでも数を重ねるうちに、(自分で言うのもなんですが)少しずつ上達してきたように思います。


 便箋という、限られたスペースの中で、どれだけ伝えたいことを相手に伝えられるのか。これはファンレターだけじゃなくて、例えばプレゼン資料とか、仕事上でお客様にお手紙を出すとか、そういう時にも大切なことだと私は思います。
オタクとしてやってきたことが仕事に生きているわけですから、弊社は私の推しに感謝してください。よろしくお願いします。


 さて、私がファンレターを書く時に気をつけていることをまとめるわけですが、これからはじめてファンレターを出そうと思っている人や書き方がわからないという人に参考にしてもらえたら嬉しいですし、もう何百何千枚と推しにお手紙を書いてきた人にも自分の書き方と比較して読んでもらえたら嬉しいです。
そして何より、こんな記事を書きながらも気をつけていないと未だにオタク丸出しの何も伝わらない、ただひたすらキモいファンレターを書きがちな自分の覚え書きとして活用したいと思っています。未来の私へのメッセージと思ってください。


 推しに聞いたわけではないので自信はないですが、きっと推しに迷惑がられないレベルのファンレターには仕上がると、そう信じています。

 

もくじ


推しを気持ちよくさせることしか書かない

 大前提として、推しに対してのアドバイスや、あるいはアンチな意見を送るためのお手紙に関しては今回触れていません。好きすぎて好きすぎて推しの行く末を考えすぎて思わず意見するオタク、一定数いるとは思いますが、私はそういうのは得意ではないので、今回は避けます。各々でやってもらったら良いと思います。


 私はファンレターを、御礼参りみたいなものだと思っています。現場に行き、推しに元気をもらう。毎日わたしの精神を支え続けてくれている推しに対し、私がお金を落とすこと以外で出来ることは感謝することくらいです。
御礼参りですからとにかく、推しが読んで気持ちよくなることしか書きません。
読んで気持ちよくなることとは何か。


褒めることです。


これにつきます。推しも人間なので、褒められて嬉しくないことはないと思います。少なくとも私はない。褒められることも滅多にないんですが。


 ここでオタクが悩むのが、「推しの褒めるべき部分と言われても、もう存在自体が褒められるべきなんだよなあ」ということです。
そりゃそうだ。推しですから。存在に感謝しかない。全部を全部褒めたい。生まれてきてくれて、推しが推しでいてくれて本当にありがとうございます。
ですがこういった感情を全部推しに伝えるなんて無理な話で、これをやろうとするから支離滅裂な怪文を量産してしまうのだと気づきました。

 


伝えることは一つに絞る

 推しに伝えたい褒めるべき点って、星の数ほどあるんですよね実際。ここが好き、あの演技がよかった、あの表情がよかった、こんなふうに言ってもらえて嬉しかった、推しくん最高!……etc それこそ書けば書くほど無限に出て来るという経験がオタクにはあると思います。私もあります。というか毎回それです。


 でも、それを全部書こうとすると永遠に書き終わらないばかりか、推しにとってみれば「この人は何が言いたいんだろう?」となるだけです。多少なりとも熱意は伝わるかもしれませんが、肝心なところ、自分が言わんとしているところが伝わらないのです。こんなに虚しいことはない。推しに手紙を読むという労力と時間を使わせてしまった挙句何も伝えられていないとは。


 ここで私がいつもやっているのが、「ありがとう」「好きです」2つのテーマからどちらか選んでそれに沿って書くという方法です。


例えば、推しの演技を見て自分が何か良い方向に向かうことができた!、ということを伝えたいなら「ありがとう」だし、推しの新しい面を発見してもっと好きになったと伝えたいなら「好きです」。


 ありがとうと好きの二択って少なくない?もっと言いたいことあるよ〜!と思われるかもしれませんが、私の経験上、オタクが推しに伝えたいことというのは、無駄な部分を削ぎ落としていくと結局のところだいたいこの2つのうちどちらかに収まる。少なくとも私はこのどちらかに収まったことしかない。他に何か選択肢があったら教えてください。

 

 これを「伝えたいこと」という大きな軸として、その周りに細かいエピソードを使って具体性をもたせながら手紙を書いていきます。大事なのは手紙に一貫性を持たせること、この軸がブレないように気をつけていれば、推しを困惑させない程度には筋が通ったファンレターが書ける、そういう仕組みです。

 

自分について書かない

自分が過去に書いたファンレター、特に初期のものを読み返してみると、もうダラダラと自己紹介が続く。自分エピソードが長い。

早く本題に入れ。履歴書でも入れとけ。

 

推しはそんな情報を必要としているのでしょうか。推しの貴重な時間が自分のどうでもいい情報を仕入れる時間に使われてしまうなんて、そんな、恐れ多すぎませんか。スーパーのチラシでも入れておいた方がまだ推しにとって有益です。


 はっきりさせておきましょう。推しは書き手である私のこと知りたいなんて、これっぽっちも思ってませんから!!!思ってたら多分もう返事貰ってるからね!!!
ま、まあ、ね、私もオタクとはいえ人間ですから、推しに自分という個の存在を知って欲しい、それはあります、たしかに。ですがここは我慢。なぜならむやみに自分の情報を入れると本当に伝えたいこと(軸にした部分)が薄まってしまうからです。


 ただ、推しへの感謝のエピソードに、自分のことを書くことも多少必要になる時もある。推しに元気をもらって仕事頑張れてるとか、推しのおかげでダイエット成功したとか。そういう時は、推しを気持ちよくさせるために書いているのに、いつの間にか自分が気持ちよくなってしまっていないかということを気にしながら書くようにしています。自分のことを話すって、それ自体が気持ちいいんですよ。だからそっちに偏っていないか異様に気をつけています。文字通りの血眼で添削しています。


 余計な情報は入れない。本当に伝えたいところをまっすぐ伝えて、ステキな文章を書く人だな、と思って頂きたい。書く、と、伝える、というのは違う。伝えるというのは難しい。ファンレは書くことが目的ではなく、伝えるというのが最大の目的だから、邪魔になるようなことは出来るだけ書きません。

 


推し自身がわかりきってるであろうことは書かない

「推しくんかっこいいです」
「推しくん好きです」
「推しくん応援してます」


し、知っているよ〜〜〜〜〜〜!!!!


推し、それ全部知ってますよ。かっこいいから推してるわけで、好きだし応援してるから手紙書いてるんでしょうが!!!自分はそれを書くのが初めてだったとしても、推しはそれ今まで100兆回言われてます。
100兆回言われて来たことを書いたところで、推しには特に何も伝わっていないでしょう。便箋の無駄なので燃やして暖をとったほうが100倍良いです。けど書きたいですよねえ、だってめちゃくちゃかっこいいし好きだもんねえ!!!!


 そこで私がやっているのは、どこがかっこいいと思ったのか、どこが好きなのか、具体的な例を出して書く。もっと言うと、それによって自分がどう変化したのか書くと、相手は嬉しいんじゃないかなと思います。誰かに良い影響を与えているって、自分ではなかなか気付けないし、それは嬉しいことだから。

「お芝居に向かう姿勢が一途なところがとてもかっこよくて、すごく憧れています。推しくんを見習っていたら私も今の仕事に真剣に向き合えるようになりました」

とかめちゃくちゃ簡単に書きましたがそんな感じです。そういう自分自身にしかないエピソードを具体的に伝えるようにしています。(ただ前に述べたように、自分のことを書いて、自分が気持ちよくなっちゃってないか、これは常に意識しています。)


 あ、でも、具体的といってもタブーはあります。


「推しくん、目の下のホクロがとてもえっちですね」


これはキモい!具体的に気持ちが悪い。自分で文字に起こしてドン引きしました。
例え思っていたとしても、こういった身体的特徴をセクシュアルに書くのは絶対にやめましょう。セクハラですよ。最悪です。面白くもなんともないです。キモいファンがいるなと思われるだけです。具体的にキモがられてどうするんですか。

 

 

便箋を広げた瞬間の印象を意識する


ファンレターを書くのに鉛筆を使う人はなかなかいないんじゃないかと思っているのですが(いるのかな?)、私のこだわりとして、修正ペンを使わないというのがあります。これは結構やってる人も多いのではないでしょうか。間違えたら書き直し。その緊張感たるや。


神経をすり減らして一文字一文字を丁寧に書き上げるというのは、推しへの敬意を表すと思っています。字のうまい下手とか関係なく、丁寧に書くというのはとても根気が要ることですし、読みやすく、きれいに丁寧に書くこと自体が推しを想っている行為です。下手したら内容よりも推しへの気持ちが伝わるかもしれません。

 

これは弊社の話なのですが、入社したばかりの頃、社長と話す機会がありました。話の流れで私が採用に至った理由を聞いたところ「履歴書の文字が丁寧だったから」という答えが返ってきたことがあります。(それはそれでどうなんだよ……)でも、丁寧な文字というのはそれだけで人を動かす力があるのだなと思いました。

 

ていうか、内容よりもまず間違いと修正だらけの見栄えの悪いお手紙、読む気になりますかね?しかも推し、何百通もお手紙もらってるんですよ。見栄えが良いほうが気持ちよく読めるに決まってるじゃないですか。

丁寧な文字は受け取る相手に「私はあなたが読みやすいように、あなたを想って、気を配っていますよ」ということを書かずして伝えることができるのです。これって、受け取る側からしても嬉しいことなんじゃないでしょうか。

 

修正ペンを使わないのは私の個人的なこだわりなので、使ったらダメということはないんですが、書き終わったあとにパッと見て仕上がりが美しいと思えるか、読み始める前、お手紙を広げた瞬間の印象というのを私は意識するようにしています。

 

おまけ:推しに書き手をアピールするには

プリクラを貼り、連絡先を書く。わけねえだろ!

そんなファンレ、一発で事務所の検閲に引っかかってアウト。闇に葬り去られるでしょう…

 

認知とまではいかなくても、せっかく推しにファンレを書くなら、「この人いつも手紙くれるな」くらい思ってもらえたら嬉しいんじゃないでしょうか?

 

私は毎回、絶対に同じレターセット(無印)に、0.7mmの黒ペンで書くという自分ルールがあります。理由は特にないのですが、なんとなく、はじめてのファンレから今までずーっとそれで来たので今後も変えるつもりはありません。無印だったら遠征先でも買えるしね。

しかし、その辺は各々、推しにどういうイメージを持って欲しいか、ということを意識して選ぶのも楽しいかなと思います。

 

例えば、マイメロディのレターセットにピンクのペンでギャル文字だったら「これは女子高生からのファンレかな?」と思うし、巻物に筆で書いてある縦書きのファンレを貰ったら「これはサムライからかな?」と思うじゃないですか。実際同じ人が同じ内容を書いていたとしても。

ファンレは顔が見えないけれど、どんな人が書いているか、読み手に想像させることができる。書き手のことを読み手に負担なく印象付けることができると思います。

逆に絶対に覚えて欲しくない人は、毎回違うテイストで伝えたいことを書いたらいい。(大事なのは推しに気持ちを伝えるということなので、この項目はおまけとして書きました。)

 

 

以上、推しに迷惑がられないファンレターを書くために私が心がけていることでした。もっと細かいことは色々ある気がするけど、大きく言うとこんな感じです。
何より大事なのは、楽しくファンレターを書くことじゃないでしょうか。まあ、あまり縛られずに楽しく書けたらそれはそれでいい。

楽しく書くっておいおい長文読ませといて最後に雑にまとめやがって、ふざけるなと思われたかもしれませんが、これは結構重要だなと思っています。例えば遠征先で夜中に必死で書いたり、マチソワ間に仕上げようとめちゃくちゃ急いで書いたり、そういう時間に追われて書く文章って、やっぱり100点満点中2点しか出せないです、私は。気持ちが高ぶりすぎて、筆が付いてこないので、結局伝えるという部分が疎かになってしまう。仕上げるのが義務みたいになっちゃってるんですよね。義務みたいになってしまうのであれば、その日は書かずにもう早く寝て、翌日の現場を本気で楽しむほうが自分にとっても推しにとっても良いと思う。
 

 推しのことを想って、一生懸命にじっくり時間をかけてファンレターを書いてる瞬間って、これもなかなかオタクにしか味わえないすごく楽しい時間だと思います。こういう、オタクにしか味わえない時間を、私はこれからも大事にしていきたい。

プレボの中身のその先を、私たちオタクが知るすべはありません。推しが読んでくれているかはわからない。それは事実ですが、だからといって推しが読んでいないとは限らない。推しへの気持ちはきっと届いていると私は信じているぞ!

 

平成が終わったからギャルになりたい

新しい時代が来た。平成最後の◯◯、の波に乗れないままぬらりと令和を迎えてしまった。正月のような祝賀ムードの中、私は日付を超える瞬間にどうしていたかというと、何をするでもなく、部屋でイスに座っていた。

昔から、流行りに乗ることができない人間だった。興味が無いわけじゃ無いけど、流行に乗るのが気恥ずかしい。小学生の時は休み時間に行われる女の子同士のシール交換に参加できなかったし、中学生の時はオレンジレンジとか聴けなかったし、高校生の時も友人に「プリ撮ろ〜」が言えなかった。ゾウのパッケージのでかいミルクティーとか飲んでみたかった。本当はそういう、イケてる人間と行動を共にしたいと思いながらも、自分はそういう人間じゃない気がして、イケてることをするのが恥ずかしくて、いつのまにかそういう人間を斜め上から見つつ、一人でなんでも楽しめるようになってしまった。流行にすぐ乗っかる人間ってなんか、バカっぽくて嫌だな。そんなことを思いながら、石を集めたり、歴史の資料集を読んだり、ラジオにハガキ送りまくったり、水道屋さんの広告マグネット集めたり、そういうことに夢中になって生きてきた。時代を完全に無視して平成の世を生きてしまった。そうやって、アラサーになってしまった。

(平成最後の◯◯、もそうだけど、もはや「令和」を使うのが恥ずかしくて、怖い。なぜなら令和、めちゃくちゃ流行ってるじゃないですか、いま。だから近々訪れるであろう、なんかの書類に「令和元年 ◯月×日」とか記入しないといけなくなる状況が恥ずかしい。早く世の中が令和に飽きて欲しい。頼む。)

 

これからも私はそうやっていつでも時代のいちばん後ろで「最後尾こちら」と書かれた段ボールを掲げるような、そんな人生を歩むことになるんでしょうか。

そういうことをすごく考えた平成の終わり、30歳を目前に、私はギャルになりたいなあと本気で思っています。こうやって、電車とかでたまに見る、ギャルの格好した50〜60代のオバさんは爆誕するのかもしれない。それはそれで本人が幸せなら別に口出すことでもないけどさ…

所謂パリピみたいな生き方は私には難しいけれど、令和はもう少し、流行りに乗れるように頑張りたい。(恥ずかしい気持ちを殺して、早速令和という言葉を使ってみました。褒めてください。)

 

全く推しに触れない記事になってしまったけど、平成の終わりは私としてはガンガンに現場に通えたのでとても充実していて、いまとても元気。久々に前向きっぽい記事がかけたな。

元号変わっても変わらず推しを推してたいです。よろしくお願いします。