頭を良くしてあげよう

読んだあとモヤモヤが残る文章を心がけています。

平成が終わったからギャルになりたい

新しい時代が来た。平成最後の◯◯、の波に乗れないままぬらりと令和を迎えてしまった。正月のような祝賀ムードの中、私は日付を超える瞬間にどうしていたかというと、何をするでもなく、部屋でイスに座っていた。

昔から、流行りに乗ることができない人間だった。興味が無いわけじゃ無いけど、流行に乗るのが気恥ずかしい。小学生の時は休み時間に行われる女の子同士のシール交換に参加できなかったし、中学生の時はオレンジレンジとか聴けなかったし、高校生の時も友人に「プリ撮ろ〜」が言えなかった。ゾウのパッケージのでかいミルクティーとか飲んでみたかった。本当はそういう、イケてる人間と行動を共にしたいと思いながらも、自分はそういう人間じゃない気がして、イケてることをするのが恥ずかしくて、いつのまにかそういう人間を斜め上から見つつ、一人でなんでも楽しめるようになってしまった。流行にすぐ乗っかる人間ってなんか、バカっぽくて嫌だな。そんなことを思いながら、石を集めたり、歴史の資料集を読んだり、ラジオにハガキ送りまくったり、水道屋さんの広告マグネット集めたり、そういうことに夢中になって生きてきた。時代を完全に無視して平成の世を生きてしまった。そうやって、アラサーになってしまった。

(平成最後の◯◯、もそうだけど、もはや「令和」を使うのが恥ずかしくて、怖い。なぜなら令和、めちゃくちゃ流行ってるじゃないですか、いま。だから近々訪れるであろう、なんかの書類に「令和元年 ◯月×日」とか記入しないといけなくなる状況が恥ずかしい。早く世の中が令和に飽きて欲しい。頼む。)

 

これからも私はそうやっていつでも時代のいちばん後ろで「最後尾こちら」と書かれた段ボールを掲げるような、そんな人生を歩むことになるんでしょうか。

そういうことをすごく考えた平成の終わり、30歳を目前に、私はギャルになりたいなあと本気で思っています。こうやって、電車とかでたまに見る、ギャルの格好した50〜60代のオバさんは爆誕するのかもしれない。それはそれで本人が幸せなら別に口出すことでもないけどさ…

所謂パリピみたいな生き方は私には難しいけれど、令和はもう少し、流行りに乗れるように頑張りたい。(恥ずかしい気持ちを殺して、早速令和という言葉を使ってみました。褒めてください。)

 

全く推しに触れない記事になってしまったけど、平成の終わりは私としてはガンガンに現場に通えたのでとても充実していて、いまとても元気。久々に前向きっぽい記事がかけたな。

元号変わっても変わらず推しを推してたいです。よろしくお願いします。